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東京高等裁判所 昭和62年(う)1312号 判決 1988年6月28日

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、検察官小林幹男作成名義の控訴趣意書に、これに対する答弁は、弁護人高谷進作成名義の答弁書に記載されているとおりであるから、これを引用する。

所論は、被告人に対する原判決の量刑が不当に軽く、被告人に対しては死刑が相当である、というのである。

そこで、原裁判所が取り調べた証拠及び当審における事実の取調べの結果を総合すると、被告人は、横浜市内の建設会社の宿舎に住み込み鳶職として稼動していた者であるが、右宿舎の近くにあつたスナック「酒処こぶし」に客として出入りするうち、次第に右「こぶし」のママであるA子に恋情を抱くにいたり、じ来ひんぱんに同店に通いつめるようになつていたが、昭和六一年一一月一九日夜も午後一一時ころ同僚のBことCらとともに同店に赴いたところ、やはり同僚であるDことEが先に同店に来ていてカウンターで右A子を相手に飲酒しているのを見かけたこと、被告人は、かねてより、自分が最初Dを同店に連れてきてやつたのに、その後は同人がしばしば自分をさしおいて同店に出入りし、右A子と自分よりも親しい関係になつており、同女も自分より同人に親近感を抱くようになつていると邪推、嫉妬して同人に対し快からぬ感情をひそかに抱いていたこともあり、当夜、被告人らが一緒に飲もうと誘つたにもかかわらず、同人が被告人らの席に来ることを渋り、また、被告人らの勧める酒を飲もうとしなかつたことに立腹したBが、Dを同店の前路上に連れ出してその顔面に頭突きを加えたのを見るや、被告人もこれに加担して手拳で同人の顔面を殴打するなどの暴行を加えるとともに、同女に対しても、「いい格好をするな。俺はDより先に来ているのに、俺の連れてきたDの方を大事に扱つて頭に来ちやう。」などと執拗に文句を言い、さらに同女に対しその足を蹴るなどの暴行を加えたこと、同女は、かねてより、被告人が陰気でやくざつぽいうえ酒癖もきわめて悪く、同店に来ると、同女やホステスらのサービスを一人占めにしようとする態度を露骨に示し、同女らがその意に沿うような応待をしないと、同女らに対してのみならず、居合わせた同店の相客に対しても因縁をつけてからんだり粗暴な振舞をくりかえすところから、被告人に対していささかの好意も抱いていないばかりか、内心極度に被告人を忌み嫌つており、かつ、その扱いにほとほと困惑して、しばしば同店のホステスや他の客に被告人のことをこぼすなどしていたが、被告人を怒らせると被告人が如何なる粗暴な振舞に出るやも知れないところから、表面はなるべく愛想よく被告人に接するように努めており、被告人が同店の閉店時間を過ぎても帰ろうとしない時には、やむを得ず明け方近くまで被告人の相手をするなど、腫れ物にさわるようにして被告人に接していたものであるが、当夜も腹を立てて執拗にからんでくる被告人をなだめるべく、他の客がすべて帰つた後も被告人に付合つて翌二〇日午前三時三〇分ころまで同店で被告人の相手をしたうえ、そのころ店仕舞した後も被告人とともに店を出、食事をするなどし、その間、Dとは被告人の邪推しているような関係にはなく、同人は単なる客にすぎないことをるる説明して被告人の納得を得ようとしたけれども、被告人はこの説明に納得しないばかりか、この際、Dのことに因縁をつけて同女に情交を迫ろうと考えるにいたり、「今晩泊つていけるんだろう。」などと執拗に申し向けて同女に情交を迫つたが、同女はとり合おうとはしなかつたこと、このようなやりとりをするうち、被告人は、同日午前五時五〇分ころ同女とともに原判示の場所にさしかかつた際、このうえは力づくでも同女に情交を迫ろうと考えるにいたり、いきなり同女に無理矢理接吻したところ、同女から下口唇を噛まれたうえ、顔面を平手打ちされたところから、激昂して逃げようとする同女の襟首を掴んで傍らの雑木林に突き倒したが、その際、とつさに、このうえは同女を強姦しかつ、同女の所持する金品を強取したうえ、その犯跡を隠蔽するため同女を殺害しようとの決意をかためるにいたり、転倒した同女を仰向けにして馬乗りになり、絶叫して助けを求め、手足をばたつかせ、被告人の顔を引つかくなどして必死に抵抗する同女に対し、その顔面を手拳で殴打したうえ、両手でその頸部を絞めつけるなどして同女を失神させてその反抗を抑圧し、同女が頸部に装着していたプラチナ製ネックレス一本(時価約五万円相当)を引きちぎつて自己の着用していたジャンパーのポケットに仕舞い込んでこれを強取した後、同女の装着していたスカート、スリップ等の下着類を引き脱がせ、同女の下半身を裸にして強いて同女を姦淫し、その直後同女が息を吹きかえしたのを知るや、やにわに所携のタオルを同女の頸部に一回巻きつけて絞めたうえ、強く固結びにして同女の頸部をさらに絞めつけて同女を窒息死させて殺害し、さらに同女が所持していた現金約一七万円等を強取したことを、それぞれ認めることができる(弁護人は、被告人は当初から財物強取の犯意を有していたのではなく、同女を殺害した後にその所持する金品について窃盗の犯意を生じたにすぎない旨るる主張するけれども、右主張が採用するに由ないものであることは、原判決が「強盗の犯意について」と題する項で詳細、適切に説示しているとおりといわなければならない。)。

まず、本件犯行当夜にいたるまでの経緯について按ずるに、前述のように、被害者A子に横恋慕して同女に思いを寄せていたものであるが、スナックのママと客という関係からして同女が被告人に対して冷たい態度をとることもできない立場にあることを奇貨として、しばしば同店の閉店後も長時間同店にねばるなどしてひそかに同女に言寄る機会を窺つていたのであるが、この間、同女において、被告人に対して気を引いたり、気を持たせるような態度は一切とつておらず、むしろ同女は前述のような被告人の態度、性格からして、内心では被告人を蛇蠍の如く忌み嫌い、被告人が同店に来てくれなくなればよいとさえ思つていたのであつて、それにもかかわらず、同女が被告人に対し表面上はにこやかな態度で接していたのは、同女が同店の経営をなんとか軌道に乗せたいと念じていたところから、相手がどんな男であれ、客である被告人に対して粗略な扱いはすべきではないと考えていたことと、被告人を冷たく扱い怒らせると、その粗暴な性格からして被告人が何をしでかすかわからないとひそかに畏怖していたことによるのであり(原審取調べにかかる関係各証拠により明らかである。)、いいかえると、同女は忍耐に忍耐を重ね、精一杯己れの感情を抑えて被告人に接していたものであつて、同女の被告人に対するこうした応対ぶりには、第三者の目からすれば、水商売における接客態度としてはやや律義、生真面目に過ぎるきらいがないではなかつたにせよ、被告人の立場からみて非として非難すべき点はいささかもなく、同女が夫ある身であることを知悉しながら同女に言寄る機会を執拗にねらつていた被告人の態度こそ、相手の立場、心情をいささかも顧みようとしない甚だ自己中心的、独善的なものと評する他はなく、被告人の陰湿で執念深い性格を明白に物語るものといわなければならない。

また、本件犯行当夜における本件犯行にいたるまでの経緯をみても、前述のような被告人の横柄で自己中心的な態度、その粗暴な性格にかんがみるならば、Dが被告人と酒席を共にすることをなるべく回避したいと考え、そのように振舞つたのも無理からぬところと思料されるのであり、同人の振舞が被告人らからすれば同人に対して快からぬ感情を抱かしめる面があつたにせよ、同人の立場からすれば、被告人らから前述のような暴行までも受けるいわれは全くないといわなければならない。しかるに、前述のように、被告人は、同人に対して前述のような乱暴狼藉に及んだのみならず、さらに同人に対するいわれなき嫉妬心から、被害者A子に対しても、同店内でくどくどと不平を言い、かつ、乱暴をし、同女が何とか被告人をなだめようと必死になつて閉店後も被告人に付合つて被告人の説得に努めたにもかかわらず、これに納得せず、そればかりか、同女に対し自分をなだめるためには肉体関係に応ずる他はないと思いこませることにより、このことを利用して同女との間に肉体関係を持とうと考えるにいたり、執拗に同女にこれを迫り、同女がどうしても応じないのを見るや、このうえは力づくでも同女をものにしようとしていきなり同女に無理矢理接吻したのであつて、この被告人の振舞は相手の立場、心情をいささかもかえりみないばかりか、その弱味につけこんで己れの獣欲を満たさんとする甚だ卑劣でふらちなものという他はなく、これに対して、同女が被告人の下口唇を噛み、顔面を平手打ちにするなどの反撃の挙に出たのも、右被告人の右所為があまりにも同女の人格を無視した侮辱的な振舞であつたことや、かよわい女性の立場からすれば、己れの貞操を守るためのやむをえない行動でもあつたといわざるをえないことに徴し、もとより責められるべき点はなく、非はもつぱら被告人にあつたことはいうまでもない。

しかるに、被告人は、前述のように、被害者の峻拒に遇うやそれまでの己れの身勝手な言動を棚上げにして、逆恨み的に被害者の右のような行動に短絡的に激昂して、逃げようとする同女の襟首を掴み傍らの雑木林の中に突き倒したのみならず、とつさに、このうえは何が何でも同女を強姦し、同女の所持する金品を強取したうえ、その犯跡を隠蔽せんがため同女を殺害しようと決意するにいたり、同女に対し前判示のような態様で強姦、強盗、殺人の所為に及んだものであり、その態様はまことに冷酷、残虐なものという他はなく、とりわけ、被告人に両手で頸部を絞めつけられ失神していた同女が、姦淫後息を吹きかえしたのを見るや、所携のタオルを同女の頸部に一回巻きつけて絞めたうえ、さらに強く固結びにしてその頸部を強く扼した被告人の所業は、被害者に対する被告人の殺意がいかに強固なものであつたかを窺わせるに十分なものであり、まことに戦慄をも禁じえない鬼畜にも等しい振舞といわなければならない。また、その犯行態様は、被告人が本件の五年前にアルバイト先の女性経営者を襲つた時の犯行態様とあまりにも類似しているのであつて、右犯行については、被告人は懲役一四年の刑に処せられて服役しながら、出所後仮出獄中にまたしても本件犯行に及んでいることを併せ考えるとき、被告人の多年にわたる非行、犯罪の積み重ねの中で形成された、時と所を得れば、獣欲の赴くままに相手の女性をおかしてその金品を奪い、かつ、その犯跡をくらませるべく、何らの心理的抵抗を感ずることなくして、その女性の生命さえ奪うという所為に出る、被告人のきわめて冷酷、残忍な性格がはしなくも露呈されたものと評するの他はない。

一方、多年にわたり夫と力を合わせて地道な努力を重ね、ようやくにして念願のマイホームも得て仕合せな家庭生活を送つており、さらに家庭の経済的基盤をより強固なものとすべくスナックの経営に乗り出し、その経営を軌道に乗せようと不馴れながらも懸命に稼動してきた被害者にしてみれば、自らには何らの落度もなかつたにもかかわらず、たまたま同店の客の中に被告人という、きわめて兇悪、残忍な男がいたということのために、このように辱めを受けたうえ、あたら一瞬にしてその生命を奪われ、かつ、目を覆いたくなるような無惨な姿で現場に放置されたのであつて、その無念さは察するにあまりあるというべく、また、突然このような形でよき妻、よき母であつた被害者を失いその家庭生活をじゆうりんされた被害者の遺族の悲嘆、被告人に対する憤りにも察するにあまりあるものがあるというべく、今日にいたるまで本件について被告人及びその親族から何らの慰謝の措置も講ぜられていないことを併せ考えるとき、被害者の遺族らが口をそろえて被告人に対する極刑を望んでいるその心情も、遺族の立場からすれば、もとより当然といわなければならない。

さらに、被告人の本件犯行後の犯情を見るに、被告人は、本件犯行後逮捕されるにいたるまで、被害者から奪つた金員を費消して遊興に明け暮れ、この間被害者から奪つたネックレスを悪びれる様子もなく自分の首に装着していたのであつて、かかる被告人の振舞は、被告人の心情が本件についての罪の意識からは程遠いものであつたことを物語つているといわざるをえず、また、逮捕後においても、本件については自白しながらも、被害者の遺族に対して一片の謝罪の手紙さえ出していないばかりか、「過去のことは消えたと思つています。」(検察官に対する昭和六一年一二月一三日付供述調書)などと、およそ本件のような大罪を犯した者の供述としては不謹慎きわまりないという他はない供述をしたり、本件犯行前被害者が被告人に対し手を握つたり接吻したりすることを許したなどと、同女が自分に気を持たせ、あるいは自分を誘惑するような行動をとつた旨、被害者にも本件犯行を誘発したかの如く、明らかに虚偽と認めるの他はない供述をくりかえしており、原審の公判段階においても、強盗の点について、当初から金品を強取する意思はなく、被害者を殺害した後にはじめてこれを領得しようとの犯意を有するにいたつたにすぎない旨虚偽の弁解をしたり、一方では、被害者の冥福を祈つているとか、死んでお詫びをする以外にないなどと供述しながら、他方では己れにとつて都合の悪い質問に対し、「わかりません。」、「覚えていません。」「意味ありません。」などと、不真面目で開き直つたような供述態度に終始しているのであつて、これらの供述及び供述態度からすれば、被告人には本件についての反省改悟の念、被害者に対する哀悼の念、贖罪の念が甚だ稀薄であり、被告人は己れの罪責をいささかでも軽からしめんとするに汲汲としているものというべきである。その他本件については、被告人の肉親さえも被告人を見放し、被告人を死刑にすることにより被害者及びその遺族につぐないをさせてほしいとまで供述していること、本件犯行が、早朝住宅近くの道端の雑木林で敢行されたものであつて、周辺住民に与えた不安、衝撃にも軽視しかたいものがあるうえ、前述のように、本件は、被告人が本件とほぼ同様の内容の犯行前科により懲役刑に処せられて服役しながら、仮出獄という恩典による出所中に再び敢行したものであるところから、社会一般にも動揺を与え、かつ、刑事司法に対する社会の信頼さえも毀損した面もあることなどを併せ考えるとき、犯情はまことに悪質であつて、被告人の罪責はきわめて重大といわざるをえず、また、被告人の犯罪性向にはまことに強固で兇悪なものがあり、仮に被告人が将来再び社会復帰をするにおいては、被告人が本件と同様の犯行に走るおそれもあるというべく、したがつて、極刑が相当であるとして本件控訴に及んだ検察官の措置はあながち苛酷とはいえない。

しかしながら、なお深考するに、被害者に対する本件姦淫、殺害は、事前の計画にもとづき敢行されたものではなく、自らの非により招いたこととはいえ、被害者から唇を噛まれ、顔面を殴打されるなどしたことがきつかけとなつてとつさに敢行された激情犯であつて、偶発的な側面を有していることは否定できず(検察官は、被告人の少年時からの前科前歴、とくに前述のように昭和四六年に強姦未遂、殺人、窃盗の各罪で懲役一四年に処せられた前科の事案内容を併せ考えるとき、時と所を得れば安易に女性に肉体関係を迫り、これが拒絶されるや、己れの獣欲の赴くまま相手の女性を殺害してでも同女を姦淫しようとする、兇悪で短絡的な被告人の犯罪癖には強固なものがあることは明らかであり、本件は、被告人のこうした犯罪癖、人格態度からして起るべくして起つたものに他ならないというべく、決して偶発的なものとはいえないと主張する。しかしながら、たしかに本件犯行が被告人の強固な犯罪癖の発露に他ならないことは前述のとおりであり、所論はこの点を指摘する限度においては正当というべきであるが、原判決が本件犯行について計画的なものではなく偶発的な激情犯である点を被告人のために酌むべき一事情として指摘しているのは、本件犯行が被告人のこうした強固な犯罪癖の発露に他ならないことを十分に認めたうえ、右のような点があるとはいえ、なお本件が事前の綿密周到な計画にもとづくものではなく、一種の激情犯として敢行されたことは、それはそれなりに被告人のために評価すべき面を有していることを指摘しているにすぎないことはその判文に照らして明らかであるから、右主張は原判決に対する論難としては当を得ないものという他はない。)、金品強取の点も、被告人において当初から企図していたものではなく、本件強姦、殺人に誘発され、これに付随する形で決意、敢行されたものであること、前述のとおり、被告人の反省の情に真摯なものがあるとは到底いえないけれども、被告人は、捜査段階から一貫して事実関係の大筋はこれを認めるとともに、自らの非を反省悔悟する旨、被害者の冥福を祈つている旨、死んでお詫びする他はない旨折にふれて供述しており、これらの供述は必ずしももつぱら己れの罪責を軽減せんがためだけに被告人が口にしているものとは認められず、表現は不器用ではあるが、その吐露するところは真摯であつて、そこにはなお被告人の人間的な情緒性とこれにもとづく本件についての贖罪感が微弱とはいえそれなりに存在していることを窺わせるものがあること、被告人は仮出獄後本件犯行にいたるまでの三年余の間、保護観察にも服さず社会生活においてかなり問題のある行動をとつており、また、職場にも十分に適応できていたとは到底いえない状況にあつたとはいえ、曲りなりにも鳶職として稼動し、少くとも仕事の面では真面目に働いていたことが窺われ、このことは被告人なりに社会に適応して更生しようと努めていたことの表われとも評しうること、被告人の兄の一人に妻を殺して服役した前科を有する者があり、他の一人の兄が妻とうまく行かず鉄道自殺を遂げていることなどからすると、被告人の生育した家庭環境にも被告人の人格形成に影響を及ぼしたかなりうつ屈した問題があつたのではないかとも思料されるのであり、こうした被告人の生立ち、家庭環境に、必ずしも被告人のみにその責を帰しえない、そして被告人が人間的な情操、社会性を身につけえなかつた負因があり、それが本件の遠因の一つともなつているようにも思われること、被告人の現在の年齢からすると、仮に被告人を無期懲役刑に処した場合に被告人が将来社会復帰を許されることがあるとしても、それは被告人が相当の高齢になつてからであると思料され、その点からすると、被告人を無期懲役刑に処して被告人が将来社会復帰をした暁に三たび本件のような兇悪な犯行に及ぶおそれは必ずしも大きくはないと思われることなど、もとより本件犯行の重大性にかんがみるならば、一つ一つは被告人にとつてそれほど有利な情状とは到底いえないけれども、なお被告人のためそれなりに考慮してやるべき諸事情も認められることや、我が国の刑事裁判における兇悪重大事犯に対する量刑の実情を見るとき、戦後の混乱期を別にすれば、死刑の宣告のなされている事案は、少なくとも被害者が単数の場合においては、被告人のために酌むべき事情の全くない、一般予防の見地からしても極刑がやむをえないと認められる極限的な事案に限るという、きわめて慎重な運用がなされてきていること(こうした死刑をめぐる量刑の実情は、もとより被害者の遺族の立場、その素朴な応報感情からすれば納得しがたい面がないではないし、とくに無期懲役刑の行刑上の運用がかなり有期懲役刑に近い形でなされており、兇悪非道な重大事犯の犯人でも、相当期間経過後にはかなり容易に社会復帰できる仕組となつていることは、こうした被害者の遺族の割り切れない気持を一層増幅させていることも否定しがたいところというべきではあるが、死刑が法の名において被告人の生存そのものを抹殺するというところの、無期懲役刑とは質的に全く異なつた極刑であることにかんがみるならば、それはそれなりにそれに処するに万やむを得ないとする高度の倫理的人道的な法感情に立脚した社会的妥当性、合理性を具えている場合に限られるべきであると解するものである。)を併せ考えるとき、前述のように本件がまことに極悪非道な、鬼畜にも等しい者の所業であることを十分に考慮したとしても、なおまだ本件につき被告人に対し死刑をもつて臨むことについては強い逡巡、躊躇を禁じえないものがあり、検察官の死刑の求刑を排斥し被告人を無期懲役に処した原判決の量刑は諸般の点からやむをえないところと思料され、これが軽すぎて不当であるとは到底思料されず、むしろ、被告人をして、生あるかぎり、被害者の冥福を祈らせ、その全存在を懸けてその贖罪にあたらせるのが相当である旨の原判決の説示は、当裁判所としても、十分に首肯しうるところというべきである。したがつて、検察官のその余の主張につき按ずるまでもなく、所論は採用できないものといわなければならない。論旨は理由なきに帰する。

よつて、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却し、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官石丸俊彦 裁判官小林隆夫 裁判官日比幹夫)

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